イタリアで就労の滞在許可証を手に入れた!
2017年11月9日、5年半の集大成の日。と言ったら大げさかな?
ついに就労の滞在許可証を手に入れた!
どのくらい嬉しかったかと言うと。手に入れた翌日の朝、起きたら泣いていたくらい。会う人会う人みーんなに見せまわっていたくらい。
日本も就職難と言われているが、イタリアはその比ではない。大学を卒業しても就職にありつけない、または給料が安いからという理由で大学院へ進学するイタリア人も多い。
今のわたしのお給料も日本で勤めていた時の半分以下。最近、同僚の若いイタリア人より月給が低いことも判明した。
それでも、就労の滞在許可証はほしかった。イタリアで、イタリアの企業でイタリア人と働いてみたかった。
ビザと滞在許可証
3か月以上の滞在予定でイタリアへ渡航する場合、日本にあるイタリア大使館か領事館でビザの申請をする。滞在の目的は大別して2つ。学業を目的しとした就学か、仕事を目的とした就労か。何の目的でどのくらいの期間滞在するつもりなのか。場合によってはビザがおりないこともあると聞く。わたしはイタリアへ来る直前、語学留学で2年間の渡航予定で申請をした。
イタリアへ着いたらすぐに、そのビザを持って警察へ滞在許可証の申請へ。就学の場合は最長で1年分の滞在許可証がおりるので、1年以上の滞在予定者は毎年更新することになる。これまで毎年就学の更新をしてきた。
この警察での手続きに、日本人を含む多くの外国人が苦労している。イタリアでは当たり前なのだが、警察に限らずどこへ行っても対応する人により180度内容が変わってしまうことが多々ある。指示通りの書類を持っていっても、運が悪ければダメだしされ受け取ってもらえない。逆もしかり。コネのおかげで何の問題もなく事が進んでしまうこともある。
就学から就労へ滞在許可証の切り替え
今回、就学から就労の滞在許可証へ切り替えができた。切り替えは、個人事業主として申請するか、雇用契約をして雇われの身として申請する。わたしは会社に勤めているので雇われの身として申請した。
就学の場合、学業目的でイタリアに滞在しているので、アルバイトなどの仕事は週20時間が限度と決まっている。就職活動をしても、面接で週20時間しか働けませんと言ったら雇われないところもあるし、最初から就労の滞在許可証保持者のみを採用したいと考えている企業も多い。就職希望者は雇用契約がないと就労へは切り替えられないが、企業側はすでに就労の滞在許可証保持者を採用したい、という現状。
さらに、雇用契約ができたからといってすぐに就労の滞在許可証を申請できるわけではない。デクレート・フルッシという、国が就学から就労へ切り替えできる一定数の枠を発表しない限り滞在許可証の切り替えはできない。しかも毎年発表されるとは限らない。さらに早い者勝ちなのでタイミングを逃すと切り替えできなくなってしまう。
今年は、3月に国から30,000人分(さらに州ごとに内訳数が決まっている)の用意があると発表された。わたしは以下の4つの幸運に恵まれ無事に手続きができた。
- 国からデクレート・フルッシの情報が出た時点で雇用契約があった
- 友だちが真っ先にデクレート・フルッシの情報を教えてくれた
- そのため30,000人分の枠に間に合った
- 勤め先の会社の人事担当が協力的に書類を作成してくれた
先月の上旬、警察で無事に手続きを終えて、約1か月ほどで滞在許可証が出来上がると聞いた時は、本当に嬉しかった!実際に手にするまでのこの1か月が待ち遠しかった。
そして、待ちに待った受け取り当日。手続きはあっさりしたものだった。警察の人にとってみれば毎日の業務のひとつだから当たり前だろうけど、わたしは5年以上かけてようやく手にしたものだったので、言葉にならない喜びがこみあげてきた。
警察署までは自宅から地下鉄で3駅分の距離だが、帰りは地下鉄に乗らず歩いて(車イス)で帰った。この喜びをじっくりかみしめたかった。
その日の夜、留学してからのこの5年半をずっと見守ってくれた人がお祝いをしてくれた。到着した日からの色々な出来事が早送りした映画のように次々と浮かび、わたしの喜びは倍増した。
諦め。執着。縁。タイミング。
実は、昨年の2016年の夏、貯金も底をつき、仕事も見つからず完全帰国を決めた。決意したものの、まだまだイタリアに執着していたのでスッキリした気持ちで帰国できる精神状態ではなかった。
日本で勤めていた時の先輩に言われた言葉も心のどこかに残っていた。
「語学留学なんて所詮、語学しか学びませんでした。帰国しても取り柄もなく、普通の結婚して終わりだろ。俺の知り合いも実際そうだったし。」
わたしも何の取り柄もなくこのまま終わってしまうのか。
そんな時に、ミラノでお世話になっている人たちから色々なアドバイスをもらい、一度日本に帰って出直す覚悟を決めた。夏に帰国したものの秋にはすぐにイタリアへ戻り、年内に仕事が見つからなかったら潔く完全帰国しようと覚悟した。
ミラノに戻って間もなくのことだった。知り合いから「日本人の求人があるから、興味があったら会社に連絡してみたらどうか」と連絡が入った。そこからはトントン拍子。
イタリアの会社でイタリア人と働くには、わたしの語学力はあまりにも低かったため、意思疎通に苦労したこともあったが、日本人ならではの真面目な働きぶりを発揮し乗り越えた。(実はAsaco、やればできる子なのだ!笑)
なんだか、こうして言葉にして並べると薄っぺらく感じる。もっと適した表現がありそうだけど、思いつかない。
ありきたりな表現だけど、自分さえ諦めなければ夢は叶う。
それが、どんなカタチであれどんな結果であれ、自分が納得するまで突きつめた時、後悔という言葉とは無縁になる。
それから、人との縁とタイミング。
仮に自分の実力で結果をもたらしたと思えることがあったとしても、その背後には必ず人との縁と絶妙なタイミングに助けられていることがほとんだ。
以前、友だちと議論したことがある。
自分で人生を切り開き運命を変えるのか、切り開いていくこと自体も含めて運命なのか。
その両方でいいと思う。ただわたしは、今、この瞬間を生きる時は、自分で切り開いていくと思った方が楽しく前向きになれるので、そう思うことにしているけど。
今回の就労の滞在許可証を得たことは、またひとつ大きな自信になった。
日本で盛大に祝うんだ!実は、今、凱旋帰国中です。笑
最後まで読んでくれてありがとうございます。