雨の日に考える「人生の壁」
今日のミラノは雨の日曜日。最近、ダン・ブラウンのダ・ヴィンチコードをイタリア語で読みはじめたけど、分からない単語が多すぎるとすぐにコーヒータイムに入り中々ページが進まないAsacoです。
写真はミラノの大聖堂前のガッレリア入口にあるカフェMotta。妄想ではAsacoはここで読書しています。笑
今回は、今日のミラノの天気同様、どんより内容かもしれませんが、Asacoの頭の中を覗いてみたい方は最後までお付き合いくださいませ。
次々と現れる壁
一難去ってまた一難。
新しい壁が立ちはだかると「またかぁ」というガッカリと「これからどうなるのか」という不安と恐怖の感情が湧き出てくる。
何とか楽して壁の向こう側へ行けないか、立ち止まったまま回避することを真っ先に考える。
あわよくば心優しい誰かが通りがかり助けてくれないかと願う。その心優しい誰かとは、白馬の王子だったらと別な妄想も始まる。笑
いつまで立ち止まっても誰も来ない。やっと通りがかった人は優しく声をかけてくれるが、その壁の乗り越え方は知らないと言い立ち去ってしまう。
仕方がないから自分で探し始めるが、左右のどちらへ行っても近道はないので、どうしたら最低限の労力で乗り越えられるかひたすら考える。
わたしがこんなことしている間に、さっさと覚悟を決めて登り始めた人こそがどんどん人生という道を切り開いているのかもしれない。
わたしは基本他力本願なのだ。この根性を叩き直したい!
こんな自分が嫌で変わりたくてバタバタもがいているのかもしれない。
自分が嫌、自分を好きになれない、だから自信もない。
ほかの人と比較しほかの人のことばかり見ている。そんな時間があるならもっと自分に集中したらどうだろう。
そうだ!一生懸命やろう!そうしたら壁なんて乗り越えられる。
神さまがいるのなら、努力を見ていてくれるはずだ。ちゃんと評価してくれるはずだ。
変わるためにはこのままじゃぁダメだ。
もっと頑張らなきゃ。もっともっと。
わたしは自分に不足しているものを見つけるのが得意である。慢性的に自分に対して不足感を抱えているのかもしれない。だから頑張ってやっと壁を乗り越えてもすぐに新たな壁がやってくる気がしている。
変わりたいけど、頑張ると疲れるから休憩。イタリア語での読書と同じ、コーヒータイム。
立ち止まったまま考えているのは結構楽なのだ。
変わろうとするときは今までと違うことをしなければならない。慣れていないことを始めるわけだから億劫になったり辛くなったりする。そうすると最もらしい言い訳を考えてしない方向へ向かう。
わたしの得意パターンがこちら。
- 最初は頑張る
- 少し疲れるし思ったように進まない
- ちょっと休憩してまた後でやろう
- (慣れてないから)再開するのも億劫
- 自分には合ってないんだ
- 元の生活スタイルへ戻る
繰り返すうちにさらに自信はなくなり、憧れの人への羨望の眼差しが嫉妬に変わり、どうせ別世界の人だから、上手くいく人は何をやっても上手くいく、あの人とわたしは違う、などなどと自分に言い、今までいた世界に戻る。
そう、これ全部逃げ。
変わりたいけど頑張りたくない。もし、本当に心から変わりたいと望んでいるのならやるしかない。
壁は乗り越えるものなのか
わたしには、生きている間に手に入れたいものがある。
それは「幸せ」だ。
何をもって幸せというのか。人によって様々だ。生活していくための最低限のお金も幸せを構成するひとつだろう。たくさんの友達に囲まれて過ごすことも幸せかもしれない。自らの力で得たキャリアや名声、評判も幸せかもしれない。大切な人に愛されることかもしれない。
ずっと幸せを探しつづけてきた。探しても見つからなかった。探せば探すほどわたし以外の人たちが「幸せそう」に見えて悲しくなるだけだった。
「幸せになる」という決意をやめてみた。人間、生きているということはすでに「幸せ」をもっていると聞いたから。
ただただ、心の声を感じるように意識してみた。嬉しい、楽しい、面白い、悲しい、辛い、痛い、眠い、お腹空いた、美味しいお酒が飲みたい。。。などなど。
いつの頃からか最近は「幸せになる」のではなく
「幸せを感じられるわたしでいたい」と思うようになってきた。
そう思うと、冷たい秋風もすれ違ったベビーカーの赤ちゃんの泣き声も友達の鼻歌も雨が濡らすコンクリートの香りも、「幸せだなぁ」って感じられるようになってきた。
「わたしは幸せだ」と感じるとパワーが湧いてくる。パワーが湧いてくると新しいこともやれるような気がしてくる。やってみて躓いてももう一度チャレンジしてみようって思える。
試行錯誤も楽しめるようになってくる。同じことをするにしても、自分の気持ちの持ちようでこんなにも変わるのか。
人は自分の見たいようにしか現実というものを見ていないらしい。見たいように見えるのなら自分に都合よく見てしまおう。
同じ時間が過ぎていくならわたしは自分の人生に希望を持って前に進みたい。
いつかわたしには、壁は乗り越えるものではなく「新しい世界へ一歩踏み出す扉」に見える日がくるかもしれない。
これから自分がどう変わっていくのか楽しみになってくる。
今ならイタリア語の本が理解できるかもしれない!そろそろ読書タイムに戻ってみまーす。
最後まで読んでくれてありがとうございます。