2018年、6月までの半年があっという間に過ぎ、この半年、何ができたのか、振り返り中のAsacoです。
先日の記事「月と海とわたし」にも書いていたが、最近、わたしは時間に執着しているのかもしれない。時間を有効に!と必死になっているのかもしれない。
ある人に、「必死」とは「必ず死ぬ」と書くんだよ、と言われた。そうならないためにも落ち着いて、と。
わたしの「せっかち」は、そうそう簡単には修正できない。だからこそ、どーんと構えて向き合う必要があるのに。
意識している時はできるのだが、アタフタしていると「せっかち」100%のAsacoになってしまう。
なかなか軌道にのらないものもいくつかあり、それもわたしを焦らせる。
そんな時は、深呼吸してから隣の人と笑えばいい。
笑うことさえできないのなら、「あ、今日は笑えなかったな」と気づいてあげればいい。
今日笑えなかったと気づけたなら明日笑えばいい。
気づきと言えば、イタリアに来てから気づいたことがある。いかに、自己評価が低いのか、自分に自信がないのか。
人は鏡とよく言うが、自分の行動によって相手の反応が変わる。
わたしは自分で見て見ぬふりをしてきてしまったし、今でもまだ蓋をしたままなのだと思う。
まだ自分を受け入れきれていない、と。
サングラスをかけても鼻まで落ちてくる平べったいアジア人特有の顔、車イス、上手く伝えられないわたしのイタリア語、これらを理由にいつまでたってもモジモジ子、顔を上げてすっきりした笑顔でイタリア人と会話ができていないではないか!
だから、相手も怪訝そうな反応になる。相手が不親切なのではなく、わたしの態度がモジモジ子すぎて問題なんだ。
先日ひとりで入ったバールでのできごと。注文時にはぶっきらぼうだった店員さんだったが、その後、勇気を出してこちらから話題を振ったところ、急に笑顔になり別人のような親切な対応に変わった。
未だにバールなどお店での店員の対応で凹むことがある。ぶっきらぼうだったり不親切な時点でそれ以上話しかける気持ちが失せてしまうのだ。
気づかないふりをして、常連や友だちと話し続ける。
こっちの顔も見ずに返事。
わたしの存在(注文)すら忘れられる。
もちろん、最初から親切な店員さんもいる。
あの人は親切、この人は不親切、と相手に目を向け自分を振り返らないでいると状況はなかなか変わらない。
同じことの繰り返しが起きるだけだから。
原因と結果。結果には必ず原因がある。その原因を相手や状況に目を向けるのではなく、自分に向けると解決策にたどり着くのが早い。イタリアに来てから学んだことのひとつだ。
解決策と思えるものを見つけたら、試す。試して上手くいかないことが続いたら、別な方法を試みる。
わたしの人生も性格改善もPDCAだ。
Plan(計画)→ Do(実行)
これを繰り返し、少しづつ成功体験を得ることで自信につながる。
イタリアへ来てから最初の4年は自ら暗いトンネルの中をさまよいに行って嘆いている状態だった。
こんなに頑張っているのに、どうしてわたしだけ上手く進まないのか。
せっかちAsaco登場。焦る。空回り。爆発。
そんなことばかりだった。
自分に合った正しい方法を知らなかったし、「異国の地で頑張っているんだから」という大義名分で自分と向き合うことをしていなかったからだ。
今は違う。躓いたり休憩したり、今も自ら迷路へ迷い込んだりしているが、できるだけ客観的に自分を見るよう、そして時には軌道修正といった訓練をしている。
まだ模索中の段階だし、40年以上かけてできあがった「わたし」を修正するのだから、そう簡単には上手くいかない。
それでも転んでは周囲の人たちの助けを得ながら再び起き上がろうとしている。
わたしには描いている未来があるから。その未来にたどり着くためには、竹のようなしなやかな性格でいたいから。

「継続は力なり」
2018年、後半へ向けての決意表明でした!
最後まで読んでくれてありがとうございます。